大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(行ツ)36号 判決

東京都台東区上野二丁目一一番一九号

上告人

関東倉庫株式会社

右代表者代表取締役

加藤修治

東京都台東区東上野五丁目五番十五号

被上告人

下谷税務署長

金親良吉

千代田区大手町一丁目三番二号

被上告人

東京国税局長

渡部周治

右両名指定代理人

岩田栄一

右当事者間の東京高等裁判所昭和五一年(行コ)第五五号法人税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和五三年一一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由第一ないし第三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及び説示に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう部分を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第四及び第五について

所論は原判決の違法、不当を主張するものではなく、単に原審における訴訟指揮に対する不満又は本件更正処分に対する行政不服申立手続における担当官の応待の不当をいうものにすぎず、いずれも上告適法の理由となりえないものである。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨)

(昭和五四年(行ツ)第三六号 上告人 関東倉庫株式会社)

上告人の上告理由

第一 憲法違反に関して

(一) 憲法第三二条は「何人も裁判所に於て裁判を受ける権利を奪はれない」と国民の裁判を受ける権利を保障しております。

一方憲法第一一条は「国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない」として基本的人権の享有を更に憲法第十四条は「すべての国民は法の下に平等であって人格信条性別社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係に於て差別されない」として法の下の平等を国民に保障しております。

憲法三二条の裁判を受ける権利はこうした条文と相まって国民が憲法の保障する国民の権利を裁判上も保障することになっております。このように国民は手続上のみならず実質上も公正な裁判を受ける権利を保障されております。

(二) その裁判を行う裁判所は憲法の前文にある「主権が国民に存することを」前提として「国政は国民の厳粛な信託によるもの」である国の裁判所であります。

(三) 上告人の主張は公正な裁判の条件の一つは常識にかなったものであるという事であります非常識つまり常識としておかしい事おかしな結果となる事は公正を欠く事になるというのが上告人の主張の中心であります。

日本人の常識は概して健全且安定しており又新しい問題についても比較的国民的合意が成立ち易い国民であります。つまり常識といっても静態的なものでなくやはり倫理的な指向をもって除々に向上変化してゆく動態的なものであります。例へば平均的な中小企業者はこうした税務争訟はおこさず長いものにはまかれろという事でしょう。上告人はその意味では平均人ではなくその上告人の常識が疑はれるかも知れません。併しそれらの長いものにまかれろ主義の人々も私のようなものを馬鹿な奴だと笑う反面でよくやって呉れているとの感じももっております。誰かゞ官僚の行過ぎを制御してほしいと思っています。この期待が具体化したものが、憲法九七条のいう「努力」であり、この努力が国民にひろく求められているのが憲法の精神であります。

(四) 本件の出発点は税務職員の「認定」という職権濫用的な第一線公務員の勇み足にあります。公務員の問題は二つあります。官僚制度に伴う何つの時代も変らぬものでありますが一つは職権の濫用つまり「いばる」こと、二つは汚職つまり「たかる」ことであります。現在の日本の官僚上級者はこの二点で比較的優秀であります。しかし下級者へのこの二点について監督は十分といへません。上級者はこの点について手を焼いているわけで、国民も直接国民に接する第一線公務員の言動に悩まされているのが実情であります。役人に対する反感不信感は一つの常識となっています。仲にはいい人もいるというのが正直な市民の感じです。全体は仲々結構だが中には悪い人もいるという所まで行っておりません。

(五) 国民は右のような官僚の欠点に関し司法の手でチェックして下さることを一つの希望にしております。上告人も本件でそうした行政官僚の行すぎの抑止を司法機関にもとめました。又司法官僚の司法機関による検討もその中で求めました。しかし両者共上告人の主張は通りませんでした。納得まいりませんので上告の理由を以下の如く具体的に述べます。

第二 報酬に就て

(一) 昭和四四年行ウ第一八〇号法人税更正処分等取消事件に対する東京地方裁判所の昭和五一年七月二〇日判決原本の第二四枚裏の判決理由の冒頭で、宇野歌子の役員報酬否認に就て「原告宇野に対して現実に右主張金額を支払ったと認めるに足りる的確な証拠は存しない」と裁判中当事者間でも争点とならなかった点をわざわざ採上げて宇野の地位は「名目的で仮装のものに過ぎない」とされています。これに対し上告人は控訴審に於て、甲第一三七号証の宇野の預金通帳を提出して反論いたしました。

(二) 被控訴人の税務署側は昭和五二年一月二〇日付の準備書面の第一枚目裏で「しかしながら被控訴人が宇野歌子の役員報酬の支払の事実の有無によって判断し否認したものではない」と裁判所の援護射撃を断って、原審で陳述された理由を再び細々と陳述されましたいわば裁判所のえんごは有難めいわくひいきの引倒しとなって了ったのです。上告人は控訴人の再陳述については既に原審で十分反論してありますので重要な点のみを反論し細部については省きました。問題はむしろ裁判所にあるのであります。

(三) 裁判所が任意に争点外の点を採上げて判決の理由にされることは許されると聞いてはおりますが、併し不なれな本人訴訟に於て当事者間の争点にもならなかったことを抜打ち的に判決の理由として冒頭に持って来られた真意は何でありましょうか、全く判りません。

釈明権の行使上に重大な手落ちがあるというより外なく裁判所は審理不尽の違法を犯しておられます。

(四) 右理由を判決の冒頭にあげておられますことは常識上裁判所がこゝに第一の重点を、おかれたことを示すものであること一読して明かであります。裁判所が秘めておられたこの一撃は被上告人側の主張が専ら認定の積み重ねに過ぎず効果が上らないのにじれ切った裁判所がこれぞ必殺のパンチとして繰出されたものでありましょう。若い裁判官殿の得意な顔すら目に浮ぶような気が致します。

(五) 事件も既に一〇年を経過した今日争点にもなっていなかったものですから、万一宇野歌子の貯金帳が残っていなかったら上告人も予想通り参って了った事でありましょう。幸と申しますか偶々と申しますが予金通帳があったからよいものの之がなければ水掛論となり証拠不十分で上告人が民間人である為に国側より不利になるおそれが十分ありました。

(六) それを思うにつけても本件における裁判所の判決は個人である上告人を国の行政機関に対立させて後者を公共の福祉の名の下に憲法第一二条第一三条の制限を憲法第一一条の上告人基本的人権第一二条の法の下の平等権の上に不当に過分に行使して、行政官庁側を有利に導こうとする故意且悪意に満ちた苦々しい動きによるものと判断されても致し方なく、釈明権の行使を怠り審理不尽に陥ったのみならず、裁判官として重大過失以上の故意且恣意の言動であり憲法第七八条の「公の弾劾」よって「罷免され」るべき性質のものであります。卑劣な心底でありだきすべき行為であります。

(七) こうした不公正な先入観を以て下された原審判決に対し、控訴審は僅にその判決原本第三枚目理由の(二)に於て「仮装」を「名目的の」に改める」とされたに過ぎません。正に笑止千万の思いが致します。失礼な表現であり下司の勘ぐりかも知れませんが、敢て申上げますと「そんなに身内が可愛いか」という事です。

自らに厳しい秋霜烈日の気魄とは明治のもので民主々義は楽屋落ちの仲間ほめ身内まばいと上告人は思いません。強い個性に裏打されない民主々義は、徒に附和雷同による団体的利己の弊に陥入る許りです。

(八) 勿論、いゝや別に立派な理由が数々あるといわれるでしょうが、所詮それらは恣意的認定のら列に過ません。上告人が最大限にゆずっても、宇野歌子の報酬は過大報酬か否かという争点以外納得出来ません。過大報酬というのは所詮給料が十分であると思っている使用人はなくやとう方は人件費が高過ぎると思っているとすれば、給与とか報酬は基準がそう明確になりえないので争点にしようとすればそうした意味では争点になり易い面がある訳であります。しかし被上告人側の税務署職員が一日や二日調べてどうして勤務の常態が判り名目とか非常勤とかゞ判りましょうか、日常起居を共にして実情を知っているものからすれば、そうした間違った独断の「認定」それを国が採用し裁判所が支持する、全く間違いだらけの明に間違った裁判が行はれていることはどうにも納得できぬ事で、何なのだろうとしか思へません。

(九) 或は上告人の書証が後から提出されたから偽物くさいとかいわれますが、上告人が感情を害して被上告人側の職員に積極的に協力したかったことは事実です。納税者に協力義務のあることは認めますが、相当の理由があれば、肉体的の職権濫用でなくとも、納税者が非協力であることも許されるはずであります。

若しそれが許されないなら判決の理由に明示して否認すべきであり、或は時期に遅れた証拠として採用を認めないなり、正面からはっきりと否定すべきであって、偽物のうたがいありといったようなあいまいな推定で判決すべきではない筈です。はっきりした理由ならば上告人としても亦対応の仕方があります。

疑しいとか認定とかでは所詮水掛論となり裁判所は公共の名の下に被上告人側の既遂の行政行為を認めて了うのですから、国民は争いようもありません。疑しいときは行政側に勝たせる事が公共の福祉を守る為の原則なのでしょうか。

相手側の認定に異議を申立てるのですから挙証責任は一応上告側にありましよう、併し相手側には証拠はなく、認定なのですから上告人側の挙証は数少く且弱いものであっても権力をもった国側の認定を矛盾するものがあればこれを採用すべきで物のつり合いという点からもこの辺が常識と存じます。強立な行政の力から国民を救済する行政救済の原則はこの辺りに置くべきと存じます。山のような官庁式の繁文書がなければという考へ方は国益を害する何物でもありません。裁判官も人の子です、いつか官庁の習いが身にしみて書類万能の弊に染まっている事も十分考えられます。最高裁判所はそうした点を常識的に制御する「まだ、最高裁がある」という国民の希望を期待を全く捨て去って了へば公正な裁判を受ける権利は単なる形式的な三審制になって了うに過ません。

(十) 裁判でなく話合いの余地は無かったかの反省はあります。併し原審で陳述しましたように、税務署の法人課長上りの上告人の税理士のマッチポンプ的なあっせんは妥協してはいけないものと直感しました。天下の大事ではないかも知れません。しかし一人一人が分相応に力の限りこうした傾向には抗うべきという気持の方が強かったのは事実です。憲法九七条の「努力」の一つの現れであります。

一隅を照らすさゝやかなものであっても大切な事と自負しております。話合いは基準が不明確な税制とあっては必要と思っておりますが取引的な妥協は税制を汚すものであります。

(十一) 加藤修子の過大報酬にしても、基準として不適当なものと比較しておられるので原審で上告人が主張しているように憲法第三八条第一一、二条違反であります。

第三 交際費に就て

(一) 原処分来、被上告人たる税務署並国税庁の一貫した主張は、接待者の氏名不詳を交際費否認の理由として来たことは原審及控訴審に於ける、本人尋問で、上告人が詳細且具体的に力証した通りであります。

(二) 原審判決の理由三の1の(三)は「相手方の氏名を開示しないことは(中略)交際費として限定される不可欠の要件であるわけでない。(後略)」と上告人の主張を支持されました控訴審も原審判決を支持されています。

(三) 併し控訴審判決は結局原審判決の「交際費たることを否認するのを正当とした理由は前述の通りであって(後略)(」という点を支持して上告人の控訴を棄却されました。

(四) 「前述の通り」というのは、被上告人のあげた状況証拠的な事情を指すものであってその根拠も理由づけも判然としないものであります。上告人としては、氏名不詳という被上告人側の主張が崩れた以上、第一の報酬に就て陳述したと同じく、基準が明かでないとする過大接待というのが争点になりうるのみと考ふます。判決の理由は過大接待的なものとも受取れますが、基準も示されておらず甚不明確な論旨であります。

(五) ともあれ否認の結果として、大荷主たる食糧庁への接待費は○となっています。上告人の交際費の約半分は歳暮中元の民間荷主向の贈物であります。官庁たる食糧庁関係へは物品は氏名住所が明になるのでこれを避けておりますからこの面から官庁への交際費は出て来ません。被上告人のようにマージャン接待を○査定されますと結果として官庁接待費○という全く常識に反するものとなります。

上告人が第二の(三)の中で「おかしな結果となる事は公正を欠く事になる」との主張に該当する訳です。

(六) 尚本件の場合は政治家に対する献金贈賄等の使途不明とは全く事情が異ります。

普通の交際限度をこえた政治家への金品提供による汚職となれば憲法第一一条一二条の公共の福祉を正に害するものでありますが、本件の如く僅な接待という必要悪に対し一切これを認めないという事になれば反って健全な社会がゆがめられ、公共の福祉にならぬ事になりましよう。一切の悪を否認すれば人類は絶減するといわれます。こゝでも常識が要求される訳です。例えば行政と国民の関係に裁判官と争訟の当事者の関係のように厳格なものを要求すると、行政の実務は徒に遅滞し円滑には参りませんでしよう。必要悪という言葉は余り好ましくありませんが、官民のある程度のつき合いはこれを認めざるを得ないと存じます。

第四 第一審裁判長の発言に就て

(一) 原審の三代目の結審の際の裁判長は「いい加減に裁判所に委せないか」という乱暴極まる趣旨の発言をなされました。

(二) この事実については、控訴審の本人尋問に於て上告人が証言した通りであります。

(三) 上告人としては、当然発言は裁判官の忌避にも相当するものと考えます。そうした裁判官の判決は公正を欠くおそれのあるものとして上告人は控訴審に於て主張しました。上告人はこの点で少くとも原審への差戻しはあるものと予想しておりました処、控訴審判決はこの点に全く触れず甚た奇怪であります。

(四) そんなに不満なら憲法第七八条の弾劾でもやったらよいだろうという事でありましようか。

第五 更正決定等の手続きに就て

(一) 控訴審本人尋問証言にもある如く、審査請求における、上告人の原処分庁の弁明書提出請求に対し、担当協議官から「弁明書等を要求するのは民商のやり方だ」との趣旨の発言があった事は、憲法第一四条の違反であること明であります。

(二) 控訴審本人尋問証言にもある如く異議申立調査担当官が宇野歌子の取締役就任に就て「たかが旅館の女中じゃないか」と発言された事はこれ亦憲法第一四条の違反であります。

以上

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